• 2013.12.05 Thursday
先日、一緒に子育てをしている仲間に赤ちゃんが産まれた。
上の子と10歳離れてのご誕生だ。

私たちの仲間もみんなで妊娠を大喜びして、我が孫のように
産まれてくるのを楽しみにしていた。
もちろん子どもたちも。

そして無事女の子がやってきた。

かわいい。
助産所から帰ってきたその日に待ちきれず顔を見に行った。
そこには、やっぱり誕生を待ち望んでいた近所の子供たち
中学生1人と小学生6人がずらりと布団のまわりを囲っていた。

普段保育園と併設されている小学部ですごしているだけあって、
赤ちゃんには慣れている。
まだ首もすわらぬこの世に産まれてたった5日目の子を
次々と抱っこさせてもらって、
みんな本当に愛おしそうな目でみつめている。

私のこれまでの常識とは、なんだったのか。
と本当におかしくなった。
自分の子供が新生児の時は、もうぜったい手を洗ってもらってからでしか
抱っこなんてさせなかったし、
小さい子供たちに抱っこさせるなんて、とんでもな〜い。ってな感じ。
もちろん出産後のお母さんの身体を気づかって
どかどかみんなで見に行くのも絶対ダメだよ〜。

そんな私の、ある意味「正当な気遣い」は
今となっては「単なる思い込み」の「せまっくるしい良識」だ。

本来、人間って、こうなんだな〜って、思う。
産まれてくる命をみんなで待ち望んで、産まれてきたら何はともあれ
抱っこして顔をみて、
よく産まれてきたね〜
って、歓迎して、
そして赤ちゃんから途方もない命のパワーをもらうのだ。

抱っこさせてもらうだけで、
生きていてよかったと
本当に思う。

命がこうしてまた新しくこの世にでてきて
生きることだけをただひたすらやっている。

力強いその小さな存在に、
一体どんな恐れをまとわせようとしていたのか、
世界を信頼できずに生きながら、母親になるということの
本当にしんどかった頃を思い出し、
新しく生まれて来た命に
大事なことを教えてもらった気がした。

それでも一生懸命だったあの頃の自分と
今、赤ちゃんを抱えている母になったばかりの人に
大丈夫だよ、って伝えたい。
自分に見えている世界を超えた大いなるとろこから、
命は守られ導かれていると。

新しい命に、
住める地球、大好きな地球を、
引き継がなければならない。

そう思うと、なんだか奥底から力が湧き上がってくる気がするな。
自分のためにはなんにも動く気がしないけど、
あの命のためなら、
無性に働きたくなるのだ。

子供たちが学校の行事で4泊5日もでかける。
よ〜く考えたら、仕事も都合がつくし、子供もいないとなれば、私は自由だ。

そうだ、旅に出よう!

と思ったけれど、思いついたのが前日だったので、
込み入った企画はできない。
なにか、、、、
どこか、、、、行きた〜い!

案だけはいろいろ思い浮かぶ。
どうせ朝頃までお酒のむんだから、
いっそのことキャバクラでバイトしてちょっとかせぐってのもいいなとか
(私はガールズバーとか思い浮かべていたが、友達に熟女パブね、と速攻言われた)

海外へ行っちゃう?とか

あれこれ空想は自由に羽ばたいた。
とことん人間の欲にまみれて楽しむか、いやいや人間として成長する方向へいくか。
ちょっと揺れてみたりして。

そして、結局着地したのは、断食&ヨガ道場。
昨日の夕方申し込んで、今日の午後から行ってきます。

旦那に言ったら「そうきたか」と。

今日は朝から子供たちの弁当をつくり、今送り出したところ。
子供たちが帰ってくるはずの電車の15分前に私も駅に着く予定で
どっぷりと身体に向き合ってきます。

初めての断食。
といっても、そこは半断食で、ちゃんと夕食とかも豆腐中心のマクロビ料理がでるみたい。
朝から瞑想してヨガして、経絡運動して、トレッキングして温泉入ってまたヨガして瞑想して
寝るっていうスケジュールらしい。
それを4泊5日で。たっぷりだね。

4日間まともな人間の動きをすれば、不良母も改善なるか。

あ〜〜〜どうなることやら。

というわけで、行ってきます。
報告をお楽しみに〜。
やせるかな。

大学に戻ったみたいな時間の過ごし方をしてしまった。

こんな人みたいな。

学校行かない、たまにバイトするくらい、
お金はないけど、時間はある。
気になる作家の本を片っ端から読み、頭ン中がその世界一色に染まる。
数年前の受験勉強時代にやっていたドラマとかに今頃気づき、
見始めたらドハマりして明け方まで見続ける。。
から翌日は昼まで寝てる。。。
また興味あることしか、しない。


あ〜〜〜〜。
不良母だ。
昨夜・・・つうか今朝か。朝4時半までドラマみちゃった。
子供も夫も自分で朝ご飯たべて、気が付いたら出かけていない。

不良母ですみませ〜〜〜〜ん。

久々、常識とか時間の感覚とかやらなきゃならないこととか
そんな感覚から脱出して
好きなことを追っかける時間にどっぷりだ。

はまっているもの。
ついちょっと前までは

田口ランディ 攻め。

エッセイ面白いよ、と友達が持ってきてくれて。
本当に文章うまいし、目線も深さもすごい切れ味あるし、
とにかく面白い。

「幸せのハーモニー」「できればムカつかずに生きたい」

では、このご時世に餓死した引きこもりのお兄さんについて
家族について、かかわった自分の思うこと、いろんな話を
書いてくれています。

そのお兄さんのことを書いた処女小説
「コンセント」

が、衝撃的面白さ。
びっくりしたまま呼吸するのも忘れてしまうほど一気に読んだ。
ビビった。
十代の頃、寺山修二に「あなた文才あるよね」と言わしめただけあってすごい。

ということに、今更ながらに気がついて、
ランディワールドに染まり、小説やらエッセイやらを読んでいます。

そしたら冒険家の関野さんとランディさんが対談してるって話で、
それを今度は読みたいな〜。
関野さんとランディさんって何話すのかな〜とかすごい気になる。

と私が騒いでいるその頃、
世間は「あまちゃん」が最終回だとかで盛り上がる。
あまちゃんファンの友人が、わざわざうちに最終回の放送を見に来るほど。
(その人の家にはTVがない。実は私の周りには家にTVを置いていない家庭がけっこう
たくさんあり、サッカーの大事な試合とか、なんかこれって時にはTVがある我が家へと見に来る。昭和初期のようだ)

私はこのたび「あまちゃん」も「半沢直樹」もみていない。
けど、バイト先のおばちゃん仲間が普通に「クドカンやっぱ面白いわ」とかって
盛り上がっているのを聞くと、すごい時代になったもんだ。と思っていたのです。

私は大人計画がまだチケット売れずに空席ありの頃から見ていた口で、
クドカンが放送作家としてでてきたころ、
同業者だったので複雑な思いだった。
あんな、ぶっとんだ人の書いたものを放送していいのだろうか。
世の中はそれをどう受け止めるのだろうか。
個人的にはものすごく好きだけれども、アンダーグラウンドな世界でぶっ放してるアレを
テレビでやっていいのだろうか。
っていうか、クドカンはどんな作品を書くんだろう。

と思っているのは私だけなのか、あっという間に時代の寵児と騒がれ
天才と称され、自由奔放な作品をうみ出して。

個人的には映画「舞妓haaa~n!」(こんな表記だったような)にぶっ飛んだ。

で。ここまでは前置きね。

ハマって朝4時半まで見て、まだ感動の中にいる私。
そのドラマが、クドカン作のテレビドラマ
「タイガー&ドラゴン」。
ちょうど今昼間に再放送しているよ。
それをちらっとみかけて、
1〜2分みて「あれれ???おかしいぞ、このドラマ、匂う、匂うぞ〜〜〜!もしや」と情報をみて、やはり。宮藤官九郎 脚本とある。
そうだと思った。って一人で盛り上がり、何気なく見始めたつもりが、ハマりにはまった。
感動だ。

で、おっかけどっぷり見続けたのだよ。

ちょうど2人目が2〜3歳ごろで、全然TVみてない時期のもの。
スペシャルで2時間ドラマとしてやったのが賞をとり、
その後連ドラになってまた賞を取り。

賞とるの、わかる。
クドカンのすごさ、見事。

落語の世界をクドカンが書くとこうなるという、
もう、本当に、業の肯定、
それは愛で、文化で、人間で、生きるってこと。
で、面白いってこと。

あ〜〜〜〜〜〜、面白い〜〜〜。

古典落語知ってる人ならなおさらおもしろいけど、
落語にご縁がなかった人にも楽しめる内容で、
本当にみごとな作品だよ。

さて、はまっているものその3が、「ACIM」。
奇蹟のコースをはまってるっていう同じ切り口で話すな!って
突っ込まれそうだな。

ケネス・ワプニック氏の「奇蹟講座入門」(加藤三代子 訳)
をやっと手にして開いてみて、びっくり。
え〜〜、こんなにズバリわかりやすく解説してくれるんだ〜〜〜〜!

これ、本当にわかりやすいよ。
それでわ〜い、わ〜いって喜んで、
ついでに夏前に出版された加藤三代子さん訳の「奇跡講座 テキスト編」を
購入して、読み始めたよ。

今日は今からそれを使って、
知り合いに奇蹟のコースを教えてほしいとたのまれて個人レッスンしてきます。
どんな風になるかな〜。

あ〜〜〜。
どれもこれも、面白い。

と朝ごはんもつくらず、面白い世界を探求中の不良母。
娘たちは、たくましく育ってる模様。

 一つ前に書いたグレートジャーニーの関野さんと糸井重里さんが
ほぼ日で対談させているとの情報が入りました。

さっそく読んだら、面白かったので。
ご紹介します。



昨夜はひさびさにワクワクした気分にどっぷり浸りました〜。
ドキュメント番組で放送されていたグレートジャー二―を行った
医師で冒険家の関野吉晴さんのお話を聞けるチャンスに恵まれたんです。

関野さんはホモサピエンスが辿った移動の道を逆からたどる旅を行われました。
その時に取った子供たちの写真を元に、
世界の原住民にふれあい、旅してまわったお話をしてくださったのでした。

その物静かなたたずまい、すごく客観的にみつめていらっしゃる上にストレート。
不必要に何も恐れず、好奇心と確信をもって進まれている姿にすごく刺激を受けました。

「凡人にはとてもできないような偉業をなされていて、どうしてそんなことができるんだろう。
いつどうやれば、できるんですか?」
みたいな内容の質問へは、

「時間だけは誰にでも平等に与えられていますよ。」
と。

うわ〜、バイトやめてヒマなことをいいことに、ぐ〜たらしている私
な〜んにもたいしたことのないゆる〜い時間に
いい加減飽きてきた頃だっただけに、

ぐさっ



いや、

「その通り!」(自分のことは棚にあげて)

と妙に残ったのでした。

きっと、見えないサポートチームが、
今の私に聞かせたかったメッセージなんだと
素直に受け取ります。

関野さん、またお話ききたいな〜。

それにしても、世界は広い。。。
だけど現在の地球にいる人類は、2000世代さかのぼると出は同じホモサピエンス。
みんな同じご先祖なんだって。
みんな兄弟なんだって。

2週連続の夏祭りが終わった。

まず、地域の夏祭り。私は今年役員なので、がっつり準備から参加しました。
いろんなドラマがあり、普段なら交わることのないだろう方々と
盛り上がりました。

そして先週末は子供たちの学校の夏祭り。
こちらも父兄のお店で動きました。

もうなんでしょうか、祭りって。

「祭りだから」

というフレーズで、いつもならしない動きをみんながやって
ぐわ〜〜〜って動いて、パッと一夜で、はい、おわり。

底にたまってるからふってからね、
と言われて、ビンをガサガサってふったみたいな。


そんな年に一度のひっくり返し作業を2週連続やった後に、
昨日、人生で初めて、滝に打たれてきた。



ちょっとわけあって、滝に打たれよう、という企画が立ち上がり
友人と共に、雷雨後の水が増えた滝に入ったよ。
他の観光客が眺める中、下に水着を着こんでいたので
どかどかと進み、ちょっとびびったけど、滝の下までいったら
世界が違った。
すっごい面白かったよ。

場所は、秩父華厳の滝。

その足で近所にある満願の湯であったまって、帰宅。

非日常で締めくくった夏。
今日は開いた後のだるさというか、
身体が何もする気なし。というだるさに包まれて
ぼ〜っとしてます。

滝は、エネルギー体を浄化するてっとりばやくて強力な自然のシャワーだね。



残暑厳しいっすね!元気ですか〜?

7月の終わりに開催された年に一度の「コア・トランスフォーメーションセミナー」
今年は初めてアシスタントとしてご一緒させていただきました。

ベーシックコース3日間を終えて、
続けてアドバンスコースにもアシスタントで入る予定だったのですが、
本当に残念ながら、急きょ体調不良でお休みさせていただくことに。。。
何があったかというと。。。。

「靴ずれ」

・・・・・
右足小指径3ミリくらいの靴ずれ。

こいつがやってくれました。
うそではありません。

1週間ほど前にできた「靴ずれ」を甘く見た私が、
身体の声を完全に無視して、ほったらかし
忙しさにかまけて「ほっときゃなおる」と言い続け、
ちょっと炎症をおこしてきたかな〜と思ったけど、さらに放っておき、
ついには足首下までパンパンにはれあがったのであります。
激痛で歩けなくなってしまったのであります。

きえ〜〜〜。

足を引きずりながら病院へいくと、
「これは、安静にして、仕事も休んだほうがいいね〜。毎日みせてください。
これ以上炎症がひろがってきたら結構やっかいなことになるよ」

とのこと。

それでも年に1度きりのセミナーだけにどうしても行く気でいので、
毎日これないのなら、ぷくっと腫れて膿がでない状態の小指は切開しないことになりました。
お医者さんは顔をしかめながら
「職場の近くにすぐに駆け込めるお医者さんをみつけておかないとダメだよ」
というのでした。

そんなか!?だって靴ずれだよ。
なんてまだおもっていたけれど、
翌日右足首下から全部真っ紫。痛くてトイレまでもあるけず、
ゴロゴロのついた椅子をもってきて、わずか3メートルを椅子にのって移動する始末。

とてもじゃないけど電車で都内にでるのは無理なのでした。

さて、私が身体の声を無視した結果、たかが靴ずれ、されど靴ずれ、
大技で私の意識をむけさせたのでした。

自分でガイドと一緒にヒーリングをしてみてみたら、
小指の先にむかってバルーン状に膨れ上がった足のエネルギー状態。
流れておらず濁っていました。
それを指から流れるように誘導されていきましたら、
ふう〜と流れていきました。

終わって、観てみたら、
破裂して膿がでていました。

それから、足の炎症をここまでおこさせた自分の中の部分と話をしてみたら、
まず放っていたことをすご〜く怒っていました。
それから、たくさんいいたいことがあって、
私が自分をさておいて身体の声を後回しにしていることを気づかせたい部分があるのでした。

そんな内面でのワークをして、
ホメオパシーのレメディをとりながら、抗生剤も飲む、という
もうなんでもありのてんこもり。

だいたい、右足首下以外はすご〜く元気だから
奇跡のコースガイドブック「完全なる治癒」(著:香咲弥須子)を熟読したり、

そうこうしつつ4日間安静にしていたら、す〜っと腫れは引いていきました。

それから半月。。。


お盆に帰省して、戻ってくる日の朝、、、なんだか首から左の肩にかけて痛みが。
ああ、痛いと思いながら、やっぱりそのまま我慢して、
2時間半車を運転して帰ってきました。

翌日、起きたら、首が回らない。
ああ〜。

(以下、加筆)

友達のタイ式マッサージ師さんが少しもんでくれて楽になったものの、
私はまた同じパターンを繰り返そうとしているのか、

これは、絶対、なにかに気が付くチャンス!なんだと思う、今日。
正確にいうと、気が付いているけど、まだ抵抗している部分を手放すチャンス。

実は、あれだ・・・と思い当たることあり。
そんなことを思っている日にあった
奇跡のコースのレッスンの言葉を紹介します。


奇跡のコース レッスン140より抜粋

病は罪悪感のないところには生じ得ないのです。
というのもそれは罪悪感の別のかたちにすぎないのですから。


他人に見える要素を、批判し、受け入れないでいることを選んだのは自分。
そうして愛から離れ、分離の夢を本物にして裁きを行っていることに対する罪悪感からは
逃れることはできないのですね。
よ〜くわかっているつもりですが、知っていることと実践することとはまったく違うこと。

はあぁ〜〜〜。お手上げだよ。わたしゃ、出来の悪い生徒だよ。
と、自己嫌悪に向かうのがいつものパターンですが、それも違うことをもう知っているのだ!
そう、批判の矛先を、目の前の他人に向けるか、
内側、つまり自分自身に向けるか、
結局はおなじことをしているにすぎない。

このこと自体をすべて、手放すんだよね。
エゴと一体化している私にはできませんから、
聖霊にお願いするのでした。

「奇跡のコースのワークを学ぶガイドブック6 
「完全な治癒」著:香咲弥須子」より抜粋
P37

********

病をみるときにはいつでも、この即効薬を使えます。
即効というからには、すぐに効きます。
時間がかかるとしたら、
この即効薬を使うことを選ぶまでに時間がかかるだけです。

即効薬とはこの祈りです。

病は真実から自分を守る防衛策です。
私は、本当の私自身を受け入れ、
今日、心を完全に癒してもらうことにします。
私は、自分が誰であるか、忘れていました。
そして、身体を、間違って使っていました。
病とは、真実に対しての自己防衛です。
けれど、私は身体ではありません。
そして、心は攻撃することはできません。
だから、私は病気になれるはずがないのです。

この祈りが、「万策尽きたあとの祈り」ではなく
今すぐ必要なファスト・エイド、とっておきの常備薬として使えるように・・・

*****
と本の中では続きます。

実生活でコースを生きるとは、
やはり毎瞬が夢から覚めるための時間なんですよね〜。

そして
だからこその素晴らしき逆説ですが
夢と知っているからこそ、
思いっきりやりたいように楽しんでいい時間でもあるのですね。


この週末は、とても素敵な講演会に運よく2つもいくことができて、
めったにおめにかかれない方のお話を聴くことができました。



初めてお話を伺った佐藤初女さんは、とてもおちゃめな方と思われました。
印象的だったのは、会場からでた質問をよくよんで、ピンとこなかったら、
また声にだしてもう一度全部読んで、ちゃんと受け止めてから答えていらした姿。
その答えはというと「そうですね、この方のおっしゃる通りです」の一言だったりもした。
余計な言葉を足すことはせず、あっさりと。
だけど、ちゃんとその方の質問には答えていらっしゃった。
説明してわかっていない人のために過剰にするなんてことは一切ない。
その姿に本当に学ぶところが多かった。

以下、思わずメモした初女さんの言葉を紹介したいとおもいます。

「うまくいかないとき、何事もちょっとお休みするのがいいんです。
 お魚を煮ていても7分ほど煮て、ちょっとお休みする。
 そうすると味がしみて、まろやかでやさしい出来になります。
 ちょっとお休みすると、とってもいいおこたえがでます」

「問題を解決するときには、まず相手を受け入れること。」

「一旦受け入れて、それでやっぱり今の私にはできないなぁというときは
 ちゃんと言います。『私にはできませんでした』と。
 それでも一旦受けいれておりますので、相手は安心して、また乗り越えられます」

「困難なことにぶつかっている人には、
 その人の苦手なことを選んでそれをしてみるように勧めます。
 そうすれば、苦手だから一生懸命やるし、
 コツコツと時間もかかるし、そのうちに悩みの方が消えてなくなります」

「すべてに命がある。食事をつくることは、命を最後まで活かすこと。
 食材を活かしたおいしい食事があれば、みんなニコニコ、心が満たされて
 生きる力がでてきます。少々のことはすべて抜けてしまいます。
 命をいただいて、心が育まれます」

「自分でいいと思ったことは、伝えていくのが使命」

ありがとうございました。

*************

日曜日は、かねてから応援していた
登山家の竹内洋岳さんのお話を聴ける機会に恵まれました。
昨年8000メートル峰14座を日本人で初めて制覇されたことで、
さまざまなメディアにも取り上げられていましたね。

新刊本がでましたよ。2冊も。



「真っ暗で寒い山の中で一人迷って、恐怖を感じないんですか?」
と私が聞いたら

「恐怖があるからいいんです。
 恐怖という感覚は、センサーです。
 恐怖心が湧きあがるから、慎重に確かめてみる。
 恐怖心って、生き抜くために備わった大切なセンサーだから
 もし山で恐怖心を感じなくなったら、それは死に直結するでしょうね」

たった一人で死の淵にいて、
中から湧き上がってきた恐怖を信頼し、命を預ける。

竹内さんのお話。

「雪山で寝たら死ぬなんてよくドラマとかで観るでしょ。
 「寝るんじゃない!」なんていうシーン。
 結果的にいうと、私は寝ましたが、死にません。
 というか、40時間以上も歩き続けて意識は朦朧とするなか、
 もう寝たいんですね。
 それで寝ようと思って座り込む。ウトウトっとする。
 だけど、寒くて、目が覚める。
 人間って、どんなに眠くても、寒かったら起きるんですね。
 それは、生きるという方向へ全部が向かっているから。
 生きるという方向へむかっていれば、雪山で寝ても死にません。
 なぜなら血液を温める為に体が勝手に振動するからです。
 ブルブルってふるえてそれで起きる。これの繰り返しです。

 生きるか死ぬかの分かれ道は、常に生きる方へ向かっているということ。
 だからもし、雪山で眠ってしまってそれでもう死んでしまったという場合は
 たぶんですが、それは死に向かっていった結果だと思います」

*************

人間って、すごい。

うちの前に住み着いているキジくん。
今日は写真を撮らせてくれた。
キジ

最近は、ホッホッとふくろうも鳴いている。

結構いろんな鳥たちが住んでいて、
当たり前のことなんだけど、
生きているのは人間だけじゃないよね。

春休みなので、子供たちを連れて、新幹線でおばあちゃんのいる岡山県へ行ってきました。
帰りの道中、ずっと新幹線ですわりっぱなしでストレスもたまっていたので、
上野で途中下車して、上野動物園をぶらぶらしました。

子供のころから動物園はあまり好きではなかった私。
なぜなのかはわかりませんが、行きたいと思ったことはありませんでした。

そんな感情もうすれ、大人になった今では子供の付き合いで何度か行くものの
あくまでもお付き合いという感じでした。

ところが!
この度の上野動物園で、動物園の楽しみ方を開発し、超満喫したのでした〜。

一体なにをやったかというと・・・。


今、ダスカロスの三部作を読み返しています。
そこにエレメンタルについての詳しい説明があり、
それは6年前に読んだときには驚くばかりの内容だったのですが、
今ではすご〜〜〜く面白く参考になるのでした。

それで、急に試してみたくなり、
檻の中の動物に向かって、話しかけ、エレメンタルを創造して、投影するという
実験を行ったのでした。

結果でいうと、私の初チャレンジでは、鳥類・・・
しかもとても友好的な性格の鳥が反応してくれました。

まず、最初にいた鳥(ごめんなさい、名前も種類も忘れた)に
こっち向いてと語りかけ、
白い光を作ってこっちをむいているイメージを投影して投げました。

そしたら、本当にこっちを向いたんです。
偶然か!?

それで今度は羽を広げてと頼んで、広げている姿を想像して投影したら、
広げたのでした。

うわ〜〜〜。

ってびっくりして、そのことを子供に話すと、
じゃあ、クジャクのとろこでやってみてよ。とリクエストが。

確かに。
クジャクが羽を広げたところをみたいわな。

というわけで、しばらく歩いているとクジャクがいたので、
同じようにお願いして、そのイメージを投影してみました。

すると、しばらくは、知らん顔していましたが、あんまりしつこいと思ったのか
「しょうがないな〜。少しだけだよ」という感じで
片方の羽をささっと開いて、すっと閉じたんです。
ジャッ、ピュッって感じで。

やった〜!って喜んで、
次はふくろうのところで呼びかけてみました。

そうしたら、ぎろっと目をあけてじ〜〜〜〜〜〜〜〜〜とガンを飛ばされ、
「何か用か」と。
そして、すべてを見透かされているような感じがする威厳ある眼力で
ただただ目をそらさず見つめ続けるのでした。

ついに私の方が、自分勝手な頼み(しかも自分がやっていることがどうなのか試してみたいだけという浅はかな理由なので)を引き下げ、すみませんでした。と謝って退散したのでした。

ちなみに、鷲は見向きもしなかったです。

なんだか小さなかわいらしい鳥は、飛んでといえばとび、本当によく反応してくれました。

というわけで、鳥にもいろいろ性格があり、
好奇心旺盛なやつから、素直な鳥、孤高の存在、おどおどした鳥、
面白かったです。

ちなみに、哺乳類は初チャレンジでは全然通じませんでした。

偶然飛んだり、こっちみたり、羽をひろげたりしたのかな〜〜〜〜????
これは引き続き実験&検証していこうと思います。

********

人間の思考は具体的な創造物です。
それは力を持ち、一度作ると消えません。
恨みつらみの感情もエレメンタル。
よき想像も、反対の想像も、同じく作り出しているということを意識すれば
一体今自分は何を創造したのか、
創造主たる自分の力を甘く見ない方がいいんだなということが、
ダスカロスの本を読むと
改めて大切だと感じる今日この頃。

超、超面白い、参考になる三部作です。







人間の可能性は果てしなく、面白い。
と、思わせてくれる宝の3冊です。



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