日常の中で起こったエピソードで
キーワードは「役割り」だなって思うことが起こった。

「役わりだからやる。役わりじゃなかったら、やらないよ。」

そういうセリフが聞こえてきて、
この言葉が私の世界にあることにきっとなにかのサインがあるんだろうと
思いを巡らす。

昨日出席した「やすらぎの部屋」のクラスでこのことを話しながら
徐々に紐解いて。

私の中に「役わりをこなす」ことに関しての相反する信念と
それにまつわる悲しみがあるんだということに気づく。

「役わりなんだからしっかりやるべき」

「私は役わりをこなすために生きているんじゃない。
 本当に好きなことをしたいんだ」

******

さらにクラスでその話をすすめていくうちに、
「役割」という言葉がさす意味がひとつではないんだと、気が付いた。

普通に日常での「役割」って、割り振られたらやらなきゃいけないことだし、
やらされることだし、ちゃんとやるのがいい子だし、
したいとかしたくないとかそんな感情を持ち出せる隙はない。
と捉えていた。

そして私は中学生のころから反抗期の最中に
よく母に言っていたなあと、思い出す。

「主婦なんだから、ちゃんと役わりこなしてから好きな事すれば」

それを裏返せば、ちゃんと役わりをこなせないなら、好きなことする権利はない。
ということでもある。

なんて残酷な言葉なんだろうと、今更ながら気が付いて、
そういえば、それを今の家族や自分自身にも言っているのだろうかと
見つめてみた。

「・・・・・言ってるわ」

そしてまたもう一方では、大声でそれに対して主張する声があるのも事実。

「役割なんて、なんなんだ〜。そんな枠に私をはめて自由を奪わないで。
 好きな事を好きなだけするんだ〜〜」

***********

「役割」という言葉がでてくる箇所がもう一つ。
奇跡のコースを呼んでいるとたびたび出会うフレーズだ。

「神の子としての役割り」

ここでも役割という言葉になって、なにかが示されている。

そして役わりという言葉から感じる、縛られる感じやちゃんとしなくちゃという感じが
じわっとにじり寄ってきて、無意識に避けようとする反応も起こってしまったり。


************

「役割」をこなすことで認めてもらいたくて自分を押し殺した怒り。

その奥にあるのは、

「役割」をこなせなかった悲しみ。

その根っこにあるのは、
神の子としての「役割」なんて嫌だよって、背を向けて
愛から離れていった自我だからこその葛藤。

人間という存在は、こんなものを持っているのですね。
そしてそれがあるから、また人間らしいともいえる、
不完全さゆえの人間さしさ。

************

瞑想しながら、聞いてみました。

「役割」ってことについて、どんな風にとらえたらいいのかな?

「何もないとろこには、何も生まれない。
 役割とは世界に触れる経路、叡智に触れる窓口となる あなたへの贈り物。
 あなたにいろんな経験やチャンスが届けられる窓口が、役割というもの」

こんなメッセージが伝わってきた。


そうだな。

母になったから経験したいろんなことがあるよな。
仕事してたから、味わった様々があるよな。

そう思って、今浮上している「役割」にまつわる出来事を見直してみれば
なんだかそういえば、嫌なことだらけにみえていたものが
違った風にとらえられて、軽くなっているのだから、不思議。

これを、しなやかさと呼ぶのだろうか。

***********

最近耳にしたフレーズで印象に残っている言葉。

「このことに誇りを持ってやっているんです。
 誇りを持って、努力しているんですよ」

役割に誇りが加わったら。。。

神の叡智に触れる経験がどんどんと流れ込んでくる窓口、
そこをまかされていることの誇らしさ。

それこそが「天職」なんだろうな。

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