今日のラジオで
精神科医の先生が

「こだわりが強い人は寂しさを抱えている人が多い」

という発言をしていた。

例えば、大好きだったペットをなくしたとき、悲しいといいきれず、
大丈夫これくらい大丈夫とがんばっだ人。

大丈夫、私は大丈夫

と頑張った結果、さらにさらにこだわって、
こだわりの強い人間になる。

そんなような話だったと。

さて、

この話は本当にその通りではないだろうかと
思い当たった。

自分のこととして、だ。

『こだわる』ことで個性的な中でも個性的になろうとした
「すぐれた個」であろうとする欲求は
自我がなせる業だということを知ったならば、

一体こだわわることに何の意味があるのだろうと
考慮しはじめる。

「こだわる」と言えば聞こえはいいが、
「執着」と呼べば一気にいらないものという気がしてくる。

好きならば、こだわりたくもなる。
好きだからこだわりたくもなることと、
その世界で一番いいものを追い求めてこだわることでは

やはりまったく違うことなのだろうか。


いろんなところでこだわってしまう傾向にある私としては
このキーワードは今後も大切にみつめていきたいところだ。

といって、すでに答えは内奥にてでているのだけれど。

「ほとんどのこだりはどっちでもいいこと。」

どっちでもいいと知って、あえて好きな方を選ぶ。
ならば、違う方を選んだ人を攻撃しないで済むのです。


「生きている、その間にあなたがこだわる箇所を見抜け。
それがあなたの生きざまで、他の人は、己の人生を好きなように生きている。
それは評価するためにあるのではない。
ジャッジしている自分がいるのなら、あなたはまだ真実に気がついてはいない。
ジャッジしている自分と向き合うことだ。」

だそうです。

「こだわって見つけたものでなければ安全ではない。安心して生きていけない」
というのは、
もう手放してもいい概念ではないだろうか・・・と。

そして手放せる気がするな〜と
なんとなく今日思った。

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