6月9日の「ゆたカフェ」ワークショップにむけて、
私はその限られた時間に、何を発信することができるだろうか、と
日々、時間のある限り、やっております。

そして、どうしてももう一度目を通しておきたい文書をひっくり返しては
そうだ、そうだ、とやっています。

と。

言葉のさす、そのことが、
頭ではなく経験として理解できる。

そんな部分が増えていることに気が付く・・・。

あんなにわけわからなかった文章が、
なんでわけわからなかったのかが、わからない・・・
当たり前のことが書いてあるに過ぎない。と思える自分がいる。

さて、数年前の、わけわからなかった自分と
今は当たり前で、そのとおり!うまいこという!と感心ばかりの私
この二人の差は、何なのか。

今日、それがなんか感覚としてわかった気がしました。

言葉で書くのは難しいけど、書いてみようと思います。

それは何も、私がえらくなったわけでも、すごくなったわけでもないのです。

ただ、「受け入れた」んだと思うんですね。

抵抗するのをやめた、とでもいいましょうか。
もしくは、頑張ってきた自分に執着するのはやめた。
とでもいいましょうか。

とても生きにくい(と思い込んでいた)幼少期と20代を過ごし、
その中で頑張って、気を張って、自分を犠牲にして(と思っていた)
自分としては、
その自分の頑張りを無駄なことだったなんていわれたくなかった。わけです。

いいたくもなかったわけです。
そんなことしてしまったら、私は何のためにその日々を必死に生きぬいていたのか
わからないから。

だから、大事でした。
頑張った自分の頑張りが。
出来うる限り最大限、自分を譲って、犠牲にして、生きていた。
と思っていました。

そんな自分では、到底受け入れられないわけです。
その本に書いてある、いろいろな叡智は。

だって、この世は夢だというのですから。
そんな世界をみているのは、あなたのエゴがみせているというのですから。

バッキャロー、そうだったというんだから、そうだったんだ。
大変だったんだ。生きるだけで。
そういいたい自分がいました。

そして、その自分がセルフイメージでした。

それを全部手放す。
なんて、できるかい!

*****************

今日は、ひっくり返して読みだした文章の
指示通りに瞑想して、
涙がとまらなかった。
それは、悲しみとか浄化の涙ではなかった。

ただただ、喜びと感謝と慈しみの涙なのでした。

それは、私が何にしがみつこうが、
何に執着しようが、
事実は、、、真実は、いつもかわらずそこにあったということ。

真実とは、
私は宇宙であり、宇宙は私であり、光は私であり、私は光であり、
目に見える分離しているとおもっている人々も、
ただ、大きな意味で、私であったということ。
それは、みな、愛なる波動であったということ。

これを体験して、観じて、
なお、自分は頑張ったんだと世界にわかってもらいたくて抗議しつづける
小さな枠の自分が大切???なんて・・・
なんでそんなにそのことにとらわれていたのだろうかと
わからなくなったのでした。

これが、気づきというものか。

世界はやはり、一息ごとに、変わるのです。
変わることが、自然なことですから。

********

そんなことを思っていたら、降ってきた言葉。

「あなたが経験したこと。頑張ったこと。傷ついたこと。感じたこと。
 おいたち。あなたを作り上げたすべての要素。
 だからこそ、わかることがある!
 生きてくれてありがとう。
 あなたが感じたすべてのことに、ありがとう。
 そして今それを訂正する勇気に、祝福を送ります。
 あなたしかなしとげられない、大いなるチャレンジに」

だって。

大変だった時間、過酷な幼少期、傷ついた心、

すべては、それを光に変容させて、輪が完成するようです。
私だからこその輪が。

それが、オリジナルの軌跡・・・・奇跡。

すごく大きなリフレーミングだ。

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