無力感にどっぷりつかる中で、ドンとやってきたメッセージ。

「お前は自分を活かしていない」

そして、ある画が脳裏に浮かんだ。

差し込まれたイメージは、
自分の外に神をおいている、外に権威を与えているイメージだった。

「大いなる力の存在。
それは自分がいるここじゃないどこか上の上のそのまた上の方にあるもので、
下にいるちっぽけな私が、見上げている。」

このイメージにすべてがでていた。

思考では分かろう分かろうとしていたのだが、
奥底ではやっぱり自分の外に大いなる存在がいて、
自分はその下なのだという前提が
しっかり根付いていた。

そして次の画で、
外にいると思っていた大いなる存在が
私になった。

私が、そのものなのだ。

*******

私と、大いなる存在=神は別のもの。
と思っているその前提を大事に抱えていて、

私の中に内在する神、私の中の神の神殿・・・という表現を
結局は分離ベースの共同生活というのか、
別々のものが同じ家にすんでいる。
という意味合いで捉えていたのだ。

そうではなく。

私が大いなる力そのものなのだ。

これを心底認めることを
自我は全力を挙げて阻止しようと試みる。

******

そう、私は常に
「何かになろうとして、頑張ってきた」

そして気が付いてきた。
どこまで追い求めても、そこに自分らしい姿はない。

自分以外の何かに権威を与え、力を与え、
その権威になろうと努力する。

時には被害者になって
苦しめる神に怒り、
罰を与える神を呪い、
自分の状況を嘆き、
無力な自分に絶望する。

時には崇拝者になって、
神に近づこうとし、
神にわかってもらいたいと願い、
神に怒られないようにしようと恐れ、
神に愛してもらいたいと懇願し、
神が愛してくれるよう頑張り、
どんな自分になればいいのか、探し続けて途方に暮れる。

神の部分を「権力」というワードにしてもいい。
神の部分を「親」というワードにしてもいい。
神の部分を「パートナー」というワードにしてもいい。
神の部分を「自分自身」というワードにしてもいい。

「自分じゃない、何か」に力を与えたのは、誰か。

*******

言い換えれば、「自立」の問題だ。

引き受けた葛藤パターンをお返しし、
主権はここにありと受け入れること。

それは、自分以外の何かに力を与え続けた世界から
解放されていくプロセスだ。

私は、
10代で反発しながら家を飛び出すことで親から自立し、
20代で仕事をやって社会的に自立し、
30代で母として支配とコントロールのテーマを感じ、
そして40代目前の今、魂として自立をしようとしているのか。

うちに遊びに来てくれた友達が
情報をくれた。

穴口恵子さんの公式ブログで
地震後に発信された、誘導瞑想があるよ。と。

やってみた。
契約を破棄する内容も盛り込まれていた。
主権を外に渡し、自然災害や世界の被害者として存在することに同意した
集合的契約の破棄である。

穴口恵子公式ブログ

*********
叡智の教え。

実在において、
自分以外の何かは、存在しない。
あるのは、愛だけである。

*********

体験とともに「奇跡のコース」がガンガン迫りくる。

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