お盆は、子供たちとおばあちゃん家に行って、
今日帰ってきました。

娘とすごく楽しみにしていた
「ハリー・ポッター死の秘宝パート2」をみて。

まじ、めっちゃ最高!

本当にすばらしくて、涙だらだらですよ。
号泣しそうになったよ。

*****
明日は、野口整体の平野先生おすすめ
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
こどもたちと行ってきます。

こちらも期待がふくらんじゃうな〜。

実はこのところ、迷子になっていた。

ゲリー・ボーネルによるアカシックレコードからのメッセージを
イブニングレクチャーできいた一週間後、
井上氏による宇宙連合からのメッセージをきき、
その間家では、アセンテッドマスター・ラムサからのメッセージを読み。
(やっと読破)
ふらりと寄った本屋の棚に
「宇宙連合司令官 アシュタールからのメッセージ」
なる本をみつけ
・・・つい、買ってしまい、読んでしまい。。。

さらにさらに、
銀河連邦や宇宙連合、弥勒の世、5次元地球などのキーワードででてくる
濃いブログにはまって、毎日チェックし、

ゲリー・ボーネル・ジャパンのHPに先日アップされた
「光の12日間」についてのゲリーの最新情報を読んだ。

「ゲリーと宇宙連合のラムササンド」。

そんなもん1か月も食べてると、
頭はウニウニになり、
この現実に、
ほとんどいないわけですよ。
私の意識は。。。。

そんな状態でお迎えした平野先生は
「ゆかさん、その頭が重たい疲れた感じは、何?」とズバリ。

バレたか。。。

昔から、はまってしまうと、ほっとかれたら
ずっとそれをやり続けるというオタクな部分があり、
行くところまで行ってしまう。。。癖があるんです。(エヘ)
バランスとかまるでなくなる。。。(エヘ)

整体の個人セッションでは、

「うわ〜、どうしちゃったの〜???
 ゆかちゃん、ぜんぜんグラウディングしてないし、
 あ〜あ、体を忘れてるじゃん」

という、先生も頭をかかえる状態でした。

そうなんです〜〜〜。
戻ってこれなくなってるの〜〜〜。

******

平野先生の手厚いサポートのおかげで、
セッション後には、頭はぼ〜〜〜っとなり
ひたすら疲れて、眠るのみ。という状態になりました。

やっと戻ってこれた〜〜〜。
そんな感じです。

ここの現実の中でしっかり地に足つけて生きることを
すっかり忘れて
興味のままに没頭していたのですが、

それで行き着いたところは、

恐れがぐるりと360度私を囲む
小さな小さな空間でした。
そして、座布団一枚ぐらいのその空間から
もう一歩も動くことができなくなっていた。
そんなイメージがやってきました。

そう。

「光とつながり、葛藤を手放せば、3次元的な世界の破壊と崩壊に巻き込まれることはない。」

そう発信されるメッセージをきくたびに、

私は光の子。
神なる存在。

そう思おう、思おうとしたって、
心は知っているのだ。

まだまだ葛藤まみれで、子供を怒り、批判し、
不平不満をもっている自分自身を。

ということは、あぶないということ。
という結論を導き出した自我の意識に
ロックオンされてしまっていたのだ。

そして私の中にある恐れの種が芽をだし、
ぐんぐん育って、もう手に負えないくらいな大きさまで育ってしまい、
絡まれまくってしまっていた。

******
平野先生がこういわれた

「子宮がちゃんと地球とつながっているから、それを信頼して。
 今は産後のような状態なんだよ。
 産後に、細かい文字を読んだり、目を酷使すると、バランスをくずして
 ひどいと精神分裂をおこしたりするの知ってる?
 それに近い状態になってたよ。
 だけど、大丈夫。
 今はまた子宮とつながって、ピンクの光がぱ〜っとでてきたから、
 もう大丈夫だよ。」

そういうことなんだ。

子宮で生きていけばいいんだ。

そう、大変な思いをして守った子宮だからね。
今こそ、子宮感覚を大切に、
そっちに主導権をうつして、
頭や目で受け取る情報は、面白いもの、安心するものだけもらっていこう。

そう思えるようになったら、
なんだか、気が楽になった。

そしたら、ここ1か月、パタリと繋がれなくなっていた内奥と
またつながった感じ。

恐れのガードは強力でした。

さあ、意識をここにしっかりもどしつつ、
普通に生きていこうと思います。

あ〜、いい経験。

注)宇宙連合の話やラムサやゲリーに触れたからといって
  誰しも恐れが膨れ上がるわけではありません。
  あくまで個人的反応です。

私もお世話になった
日本コミュニケーショントレーナー協会主催の
4月スタート「NLPプラクティショナー資格取得コース」。

実はボランティアアシスタントとして、ご一緒させていただいておりました。

そして昨日、無事プログラムが終了し、
受講生の方が修了証を受け取られました。

私が初めてNLPのコースに通い始めたのが、2年前の1月。

どこまでも探究する広さと深さをもつNLPの世界を私なりに覗きながら、
今回また2年前ちんぷんかんぷんだったコースに参加してきました。

ここにきて、やっと言っていることがわかる!
すごいこと、言ってるわ〜。

と、アシスタントとして後ろでききながら
超勉強になる有意義な時間でした。

さて。

昨日は最終日ということもあって、
深い部分から自分を統合するトレーニングがありました。

NLPの現場ではトレーニングと呼ぶけれど、
やっている内容は、「誘導瞑想」そのもの。
トランス状態に導きながら、
自分とはだれか?という問いにむかって
奥底を旅します。

昨日やったそれは、

「宇宙意識とつながり、全体をみわたす」というような感じのものでした。


そう、自分とは何か。
という視点を、どんどん大きく広げていくと
エネルギーであり、宇宙意識であり、愛であるという
その視点に移行します。

そこへと視点をもっていき
肉体をもった自分とおもっている存在をみてみたとき

そこで感じている「イライラ」や「問題」は
もはやどっちでもいい
取るに足りないことに感じられるから、不思議です。

NLPという入口からでも
スピリチュアルな瞑想という入口からでも
はたまた宇宙存在からのメッセージという入口からでも

行き先は同じ。

そして、人それぞれ生きている数だけ、真理への道がある
んですよね。

真理へのカギは自分が選んだ道の上にある。

*******
先日のトークライブでお話くださった宇宙生命研究所の井上さんは、
卓球の世界選手権の日本代表として活躍された過去をお持ちです。

あの福原愛ちゃんが小さかった頃、
日本の卓球界をしょって立ち、世界へと羽ばたいていた人物です。

そして井上さんとお話している中で
こんなことをおっしゃっていました。

「私は卓球を通して宇宙の真理を学んだんだよ」

ゴルフにも「クォンタムゴルフ」という言葉があります。
クォンタムとは、量子力学の量子場という意味。

つまり、ゼロ場です。
そう、フリーエネルギーが発生する、
質量とエネルギーが完全バランスした場です。

科学が「量子論」で進み、目指す場と
瞑想で行き着こうとするいわゆる「空」の場と
スポーツなどでゾーンに入ると表現される「クォンタム」な状態とは

全部おなじ状態をさしているだろうなぁ・・・
と、私は想像しています。

 なってみたいな〜。その状態に。。。。

「なでしこジャパン世界の頂点」
このニュースには新しい世界を象徴的にしめしていて。

和をもって力を発揮する
日いづる国の女性が
笑いをもって統率するリーダーと一緒に
世界の頂点として姿を現した。

これからは、
女性性の受容性が
笑と和をもって
世界をひっぱっていく、
そんな新しい時代の幕開けの象徴ですよね。

井上さんにきいてみました。

私「どうしたら、完全バランスしたクォンタムな状態になれるのかな〜」

井「なでしこジャパンもそう、一つは無我夢中になることだよ。」

私「無我 夢中」

井「高橋尚子ちゃんが優勝したあの走りの時、
  天から光の柱がど〜んと降りてきていて、
  Qちゃんとつながっていたんだよ。
  走っているのに光の柱も一緒に移動しているのが
  見える人には見えていたんだよ。
  だから、疲れない。ずっとエネルギー供給されているからね」

私「へぇ〜!そうなんだ。
  で、井上さんは今もそういう状態なの?」

井「今は、うちに秘めた情熱をもって、淡々と使命を行うだけ。
  あのね、無我夢中というのは、四六時中は続かないからね」

*******

淡々と、自分のミッションを行う。
情熱を秘めて。

なんて素敵な生き方なんだろう。

完全バランスした時に
すべてはスムーズに抵抗のもっとも少ない状態で進むのだろうな。

それが「楽」ということ。

*******

洗濯機が脱水する時。
洗濯物が多すぎたりして、それがまた絡まった上、
偏ってバランスを崩すと

「ガッタン!ガタン!ガタン!ガンガンガン」

あっちにぶつかり、こっちに体当たりして
すごく大変そうだよね。

そして止まってしまったり。

一旦サポートして、平にならしてから
なんとかうまく回りだそうとパワー全開でモーターフル回転。

それでもダメな場合は、
あきらめてほったらかす?
そのうちばい菌が繁殖して、変なにおいがして
最後は(ご想像におまかせ)・・・・



スムーズに回るときって・・・
中身もちょうどよくキャパにあった量で軽め。

スタートの時だけパワーを使えばあとは
サササササーと
軽快に回る。
そして目的を達成する。

脱水完了!

そしたらどうなる?

太陽の下にでて、光を全身で浴びるんだ

 goddohando

やってきた「生命エネルギー増幅装置 ゴッドハンド」ちゃん。

他の使い方をしてみて、発見したこと〜。

“泡酒にかざすとどうなる!?
コーヒーがまろやかになるのなら、他の飲物はどうなのか。
という好奇心から、「発泡酒」で実験してみました。

旦那と同じタイミングで「お疲れ〜」と缶をOPEN。
一口味を確かめると
「キューッと鋭い刺激がのどにきて、後のほうで苦味がある」感じ。
まあ普通に「うまい」わけですよ。

そして、私の缶にゴッドハンドちゃんをかざすこと約1分。
(つぎの一口が早く飲みたいから早々に味見)

ん???なんか、あたりがやわらかくなった感じが
するような、、、しないような。。。

ちょっと、横にある旦那の缶を一口。
あっ、やっぱり違う。
とげがある、というか、下品な感じというか、なんか大味な感がある。

それに比べて、私の缶は、まろやかというかきめが細かいというか
繊細な感じになっているではないか。

この微妙な差は、気のせいだろうか・・・

と、再び私の缶に「ゴッドハンド」ちゃんをかざすこと1分。
ゴクリ。

う〜ん、やっぱりおいしいぞ。

旦那の方の缶をゴクリ。
ほら、大味な感じで、のどにくる刺激がわざとらしくていやらしくさえ思えてきた。
後味もおいしい苦味というより、そういえば、まずいわ。

(と、だんだん批評家になってきて)

私の缶のは、ほら、発泡酒から
上品な方に格付けアップしたような
優雅さが漂うではないですか。

旦那にも飲み比べてもらったら
「本当だ。違うね〜」と。

ゴッドハンドちゃんの実力をわかるには、
安物と高級品で味の差が激しいもの
にかざしてみるとわかりやすいのかもしれない・・・
と思いました。

「〇〇だけはケチっちゃダメ、いいの買いな。全然味が違うから」
というセリフをよく耳にする気がするが、
〇〇の部分に入るものが、全然思い浮かばな〜い。

みなさん、なにがありますっけ?

▲泪奪機璽庫世箸靴討慮果は!?

長女は小学5年生なのに、肩こりがひどい。
「ママ〜肩もんで〜」とすりよってきます。

『ゴッドハンドは、どろどろした(酸化、劣化)したものにあてると
生命エネルギーを増幅させるので、サラサラ、イキイキするんですよ』
と井上さんがいっていたのを思い出し

ゴッドハンドで肩からリンパ、背中、肩甲骨のあたりをマッサージしてみました。

娘「きもちいい〜〜〜」
すごくご満悦。

効果のほどはどうなのか、娘もなんとなくのことを言葉にもできない様子で
いまいち感想はきけないのだけれど、

一度やって以来、
「ママ、またアレでマッサージして〜〜。ちょっとだけでもいいから〜」

とすり寄ってくるようになりました。
相当、気に入ったようです。
手でやるより、ゴッドハンドでやる方を要求してくるので
何か直感的にいい感じっていうのを
感じているのかもしれません。

おんなじ形の(口紅とか)棒でやってみても
同じなのかもしれないんだけど。。。

こちらも観察続行していきます。

というわけで、変わったものがうちにくると
日々それだけでテンションあがって、面白いよね〜。

***************
7月21日(木)
台風がきているか、通り過ぎてくれるかわかりませんが
上空にUFOたちもくるかもしれません。
トークライブ会場は熱いスポットになりそうです。

「五次元地球への扉 アンドロメダからのメッセージ!
 〜今、日本に何が起こっているのか!?」

好評受付中です。

このチャンスにぜひ、
来る愛と喜びの未来にむけてハートを広げ
共に大切なことを確認しあいましょう!

マイパソコンが今戻ってまいりました〜。
10日ほどという当初の話から大幅にじさられ、
19日ぶりに我が家へとご帰還されました。
これでやっとサクサクと作業ができるわ〜と、ほっとしています。

告知しております
「五次元地球への扉
 アンドロメダからのメッセージ! 
 〜今、日本に何がおこっているのか?」


緊急開催することになったトークライブです。
着々と打ち合わせが進んでいます。

面白くなりそうだよ〜〜〜!



数日前からパソコンちゃんが修理に行ってしまいました。

今はダンナのパソコンを借りて、メールチェックはしているという感じです。

外の情報にアクセスする方向ではなく、
自分の中にやってくる情報と遊んでいます。

展開、早いです〜。

友達が、震災の後、
「本当にしたいことを選択する」
ということを選択して、
バリ島に行ってしまった。

日本に残った旦那さんが引っ越しの作業をし
今日、引っ越しをする。

昨日私は朝から手伝いにいって、
もうほとんどいらないから
なんでも好きなものをもっていっていいよ。
というお宅から、
これは欲しいかなどうかなと心にききながら、
欲しいと思うものを
うちに持ち帰ってきた。

はっきりいって、
なくても生きていけるものばかりだ。
必要だからもらったのではない。
「いらないなら捨てる」という言葉に反応して
「捨てるならもらう」と答え
「欲しいかな」と考えてもらってきた。

でも、そんなこと言ったら
「なかったら死ぬ」というものは
そんなにあるだろうか。

生きる為だけのものなら
こんなに荷物は多くないはずだ。

なのに、
家にはいつのまにかどっさりなにかがある。

「捨てる」ということは、大変だ。

生きている中で
「捨てる」
という行為が、一番苦手かもしれない。

それほどまでに、
「捨てる」とは、
良心が痛み、教えに反し、やってはいけないことだと思うし
本当は「いらない」ものを
どれだけ「抱えて」生きているか
人のいらないものを「引き受けて」生きているか
よくわかる。

「ゴミほど捨てにくいものはない」
というのが、私の持論だ。

ゴミを捨てるのには、手間がかかる。

賞味期限が一年ぐらいすぎた瓶なんて、最悪。

中身はみたくないし、
でも中身入りで不燃ごみに放り込むこともできないし、
かといって、中身を燃えるごみで出して
瓶は洗ってからビンの日に出すというのも
すご〜〜〜くハードルが高い。

それでももう賞味期限がすぎまくってるようなものは
「これはさようならだ」と決心もつくが、
「まだ使える」と思うものはこれまた大変だ。
売れそうなものを集めてリサイクルショップに持ち込むのは
お金が欲しいからではない。
「捨てる」という罪悪感から逃れるための
言ってみれば「逃避行動」ともいえる。

捨てることを考えてからものを買おう。
と、引っ越しのたびに思う。(すぐ忘れるが)

ありがとうと心からいえるぐらい使い切り、
そのものの魂とさよならできる
そんなものとの付き合いをしたい。

それはきっと人との付き合いとも共通するだろう。

「便利だから」という理由で買うと
「使える」「使えない」で判断し

「使うと思って買ったけど、1回もつかわなかったわ〜」って
セリフになる。

そして、
そういうものほどゴミに出すには罪悪感があるのである。

「愛してないから」

そのものに対して、まったく愛情がないんだもの。
それが存在したって、しなくったって、
どっちだって、いいんだもの。

そりゃ、ものだって可哀そうだというもんだ。

「愛してるよ」って声をかけたくなるくらい
愛おしいものだけの空間を作ろう。

そう思う。

いらないものを捨てる、、、ということではないはず。

愛しているものだけ手にする
ということ。

それをもっといえば
「あるものはすべて愛しているもの」

ということ。

あ〜〜〜。

もらってきてしまった。
また段ボールいっぱい。

INすれば、OUTするのだ。
よし!!!やるぞ!

もらいうけ
やっと火のつく
我が断舎利。

(字余り)



「捨てるのも、手放すのもいたってカンタン。
 私のところから別のところに行くものは
 私のところでの役わりが終わっただけ。
 次の世界で最高の時間をすごす。
 だから私に執着してもらわなくていい。
 ご縁があって私と出会ってくれてありがとう。
 さあ、堂々とあなたの道をいきなさい。
 ものを手放すとは、存在を認めるということ。
 ものが未来へ進むのを、私が邪魔しないということ。
 感謝とともに、宇宙へと返そう。ありがとう」

今日で5月が終わる。

明日から、6月。

これからが、あの日々の意味を決めていく。

キーワードは「行動」。

その奥にある大切なものは
自分はどう存在するのかという「意図」。

そのことを通して分かち合いたいのは、
今この瞬間の「喜び」だ。

******

純真無垢。
自意識のない、子供のように。クリエイティブに。

自分で前髪を長さ1センチにバッツリ切ってしまい
おでこ丸出しの素敵な髪形で
かお
生えかけの前歯が最高の7歳が
にっこり笑いながら言った。

「ママ、こちんって何回も言うんですよ。はい、せ〜の!」

指揮者のように両手をふりながら、さらに彼女の先導がつづく。

「はい、もっと大きな声で〜。
 こちんこちんこちんこちんこちんこちんこちんこちんこ」

自意識の入り込む余地のない存在の在り方は
すばらしい。

そんなことを
つくづくと思う
2011年5月最後の日。

この数日間で、いろんな場に足を運ぶ機会に恵まれた。
いろんな仲間と顔を合わせて、
今のココロのうちを報告しあった。

難しいこと、立派なことなど、なにも言えない。
ただ、一緒に過ごせて、顔がみられて、うれしかった。

そこで聞いたあるエピソードを紹介します。

*******

4年生と2歳の娘さんを育てているあるお母さんの話。

前は子供に向かって声を荒げて感情的に怒ることなど
めったになかったそうです。
それが、ここのところ、急に感情的になってしまうことが多くなって・・・
と話してくれました。

そして、つい先日のこと。

2歳の娘さんがせんべいを歩きながら食べて
ボロボロこぼしていました。
それを観た途端、急に感情が爆発して
「いい加減にして!ママは嫌なの。嫌なんだから、やめて!」と
怒りの感情を娘さんにぶつけてしまったそうです。
もし以前にそんな場面があったとしたら、娘さんは「ぎゃー」と泣きわめく場面。

ところが、この前は違ったそうです。

2歳の娘さんは、しばらくじっとだまってから、
お姉ちゃんにこう言ったそうです。

「ママね、悲しいの。ママ悲しいの。悲しいの」

その言葉をきいて、ママは思わず彼女をぎゅっと抱きしめたそうです。

*********

うちの下の娘(7歳)も
このところ、ずっと私のそばにきてくれます。

そうして、ニコッとわらって、まるで私の子守りをするように、
遊び相手をかってでてくれます。

「歌を歌うね。じゃあ、ママもおんなじように歌ってね。やってみてね。せーの」
とか、
へんてこりんダンスも
最初に彼女が見本をみせて
「じゃあ、ママもやってみて。」

(私、適当にまねてやる)

「そうじゃない!こう!もっとおしりをふって」

(本気で真似する)

「そう。じゃあ、次はこれね」(とOKがでて、次のお手本が出される)

まるで私の心をわかっているかのように。
無邪気に遊ぶということを、いかにしてこなかったのかがよくわかる。
こうして7歳の指導の元、
一緒の気持ちになって遊んでいると、
なぜか救われる気持ちになる。

キッチンで洗いものをしていたら、
後ろからぺったり抱きついてきて、そのまま離れなくなった。

自分が甘えている時とは、なんか違う。

そうしてずっと、私に寄り添ってくれたのだった。

*******

小さな体だけれど、
あまりにも大きな癒しの存在。

いてくれることでこんなにも救われていると実感し、
その存在のありがたさと幸せを
これほどまでに意識したことがあっただろうか。

 子どもたちの姿にヒントがあるのだろうか。

友達と遊ぶ。
1日中一緒にいれば、盛り上がって一体となるときもあれば、
飽きてしまってなにもしていない(ようにみえる)
交わらない時間というものも存在する。

それでも一緒にいて、落ち着くのだろう。

それを言葉で説明するなら、同じときを共有している「仲間」だからだ。
「仲間」の中にいて、安心して自分でいるんだなと思う。

私は一人だし、無力だし。
そんな気持ちが襲ってくる中で、難しいことは抜きにして、
とにかく顔をみて笑いあえる仲間に会いたいと思った。
そう思ったら、いっぱいいた。

昨夜は、子供の通うフリースクールの父母会が行われた。
フリースクールという意志を持った決定をしている仲間だけあって
喜びも苦労も共有している部分が多い。

*それでも私たちは今、生きてるんです。どうやって生き抜いていくかですよ。
*旦那はとっかえられても、自分の感性だけはとっかえられないんです。
*私の生きる場所はここなんだ、って言って
 親を説得して中学もここにくると自分で決めた子供がいるんです。
 自分で決めたんです。生き方を。
*こんな時だから、こどもたちのいい話をしましょう。
*笑えてよかったね。

そんな話がでた。

明日はやすらぎの部屋のクラスに行く。
みんなと顔を合わせて時を共にしたいと、心から思う。

明後日は、長女でお世話になった青空自主保育の当時のメンバーで
桜の下、集まることになっている。
手探りの中、感性のまま、子育てをある時期共にした仲間だ。
私も、子供も、楽しみにしている。

そう思って思い起こせば、
自分のハートの声から行動し出会った
いわば「こころの仲間」と会える機会ばかりだ。

そうだ。そうやって、自分のこころの声をもう一度確認していこう。

*********

こちらはいろんな方の今の「こころの声」に触れられるページです。

「みんなはいま、なにを思っているんだろう?」

毎日必ずのぞくことが地震後の日課となった
作家・田口ランディさんのブログから。

正直に今を書き記すそれぞれの方の姿に、感銘を受けます。 


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