今年を振り返ってみようと思えども、
1月や2月のことなど、もうずっと昔のことのようで
そのころの自分のことをあまり思い出せないな〜という感じでいる。

いろんなことがあった。
でもこうして穏やかな年末を去年と同じように過ごしているのだから
環境的にはたいした変化はなかったような気分になる。
それでもやっぱりよく思い返してみれば、
さまざまな気づきがあっていろんなプロセスを経たよな〜。
いやいやそうだそうだ、かなりの変化と
確実に今年が始まったころの自分とは違う存在として
ここにいるのだ。

そんなことを思いながら、
2011年の大晦日に
お日様はあったかいと、日向でPCに向かっている。

生きている。

これだけはかわらず、
今命あって、なんでもない日常のときにいる。

人間とは面白いものだ。

穏やかなときには、「何か面白いことがないかな〜」と変化を求め
激変の中にあれば「静かに穏やかに暮したい」と心から願う。

多くを求めないということは、
あきらめることとは違うのか。

今に満足するということは、
成長が止まるということとは違うのか。

ありのままでいいって認めることって
なんだかいろいろくっついてきて、しゃべる思考の根深いこと。

難しいことを抜きにして、
あっけらかんと笑っていたい。

それでも湧き上がる好奇心に
身をまかせてみたい。

そんな2012年、ようこそと出迎えよう。

2011年を生き抜いたすべての命に
「ご苦労様!お疲れ様!!そしてありがとう!」

*****

ご縁があって分かち合っていただいたみなさま、
またこのブログに遊びに来てくださっているみなさま

本年はありがとうございました。

いろんなことを言ったり、書いたり、やったり、感じたり
やめたり、戻ったり、
そんな私とともにいてくれて、本当にありがとう!

そして来年もどうぞよろしくです。

みなさま、素敵な大晦日&新年をお迎えください!

みなさん、どんなクリスマスをお過ごしでしたか?

うちの子供たちには、
「サンタさんからプレゼントが届く」という設定を
今年も続行〜。

5年生になる姉の方は、ちょっと微妙になりつつあり
12月のはじめ頃、
「300円分Xmasプレゼントから前借りさせて。どうぜサンタはママなんでしょ。」
と言い放った。

うわ〜、現実的〜。
これはもうばれたか、と思いつつも、なんとなく流しておいた。

それでも2年生の妹と一緒になって
「サンタさんに何たのもうかな」と考えて、
「バッグも欲しいけど、腕時計もいるんだよな〜。それかキックボード。だめだと思うんだけど、ベッドっていったら、届くかな?」などと夢はどこまでも膨らむ。
そしてサンタさんに手紙を送ったら届くかな?とか聞いてくるので
やっぱりどこかではサンタさんはいるんだということになっているようだった。

妹の方はというと姉とは対照的に物欲があまりなく、
特にあれが欲しいとかなんとか言いださないので
数日前にきいてみた。

「サンタさんに何か頼みたいものあるの?」

すると・・・

「うん。この小さなハリネズミがいるでしょ。
(3センチくらいの陶器のハリネズミ、友達にもらった品)
 これのクマ版」

「あ・・・・そうか」

と、その時おばあちゃんから電話がかかってきて、
おばあちゃんに聞かれたのだろう。
こう応えていた。

「うん。ハリネズミの人形があるんだけど、それのクマ版。
 もうサンタさんに頼んだから、くると思う」

すごい。何の疑いもなく、もう希望は届いたと思っていて
ちゃんと届くと信じている。
すごいよ。すごい。

というわけで私はそのハリネズミのクマ版という
一体どこに売っているのかもわからない品を探してまわりました。

願いというものは、かなうものなんですね。
1件目で「どんぴしゃ」という品を無事発見!

そうしてイブの夜。

「今日は早く寝る」と
揃ってさっさと布団に入った二人。

寝たらプレゼントが届くと信じているのだろう。
今夜だけはなにがなんでも寝る!っていう感じ。

プレゼントにはカードをつけるのだけれど、
2年ほど前、カードの字をみた姉が「この字、ママの字とよく似てるね」と
するどいつっこみをいれていたので、

ペンを弱弱しく持って、しゃら〜んっと
いつもの書き方じゃない変な字で
メッセージを書いた。

さらに、昨年は二人の枕元に置きに行った際、
階段を下りるスリッパの音で目覚めた姉が
「ママの足音がした後みたらプレゼントがあった。
 ママがおいたんでしょ」とつっこまれた。

そこは「ママもなんか音がしたからもしかしてと思って様子を見に言ったんだよ。
そしたらプレゼントが置いてあった。ちょうど置いたばっかりだったみたい」

とごまかした。

「えっ、じゃあサンタ見た?」

「うん、後姿がちらっとみえた」

とウソにウソを重ねた結果、

今年サンタクロースの絵を学校で書くことになった姉が
「ママ、サンタクロースってどんなんだっけ?」
と聞くので
「知らない」と答えたら

「だって、ママみたんでしょ」

・・・・・。



そんなこんなで、今年は1階のクリスマスツリーの下に置いた。

朝のそれぞれのリアクションは面白かった。
まず下の子は例のクマをみつけて

「あっ、あれだ!」
と声を上げ、にんまり。
後は一緒に入っていたお菓子に夢中だった。

お姉ちゃんの方はというと、
入っていたバッグに大喜びしながらも
値札をみて
「ママ、サンタも値段隠すんだね」だって。

どこまでも現実的な姉ではあったが、
「ママ、見て〜。ほらこんなの入ってた」といちいちみせてくれるのだから
私が買ったとはどこかでまだ割り切っていないのだろう。

ところが!その後ラジオから流れてきた
「娘のXmasプレゼントを選んでいて、ママからにしようかそれともサンタから届くってことにしようか、考えちゃいますよね」というコメントを聞き逃さなかった姉は

「聞いちゃった〜聞いちゃった〜。このラジオの人、
サンタからのプレゼントはママが買っているだって〜。やっぱそうなんでしょ!」

この会話もスルーして、明言はさけておいたが、
果たして来年はどうなることか!?

そんな我が家のサンタさんでした。

2011年の冬至。

今年が始まったとき、
この日私はどうしているかな〜と思いを巡らせた
その日がやってきた。

分離のエネルギーが大きかった時代から
ワンネスのエネルギーが大きくなる時代へと移行している今、
今日がまさにその逆転の日と言われている。

子供のような純粋なあり方で
喜びを受け入れたいな。

*******

また!

新しい日課として、朝の散歩をはじめた。

子供たちが通学で出発するタイミングで
便乗散歩だ。

一人ではついつい寒そうだとか洗濯がまだだしとか
理由をつけそうになる。
要はめんどくさい、家にいたほうが楽。それだけのことなのだが。。。

で、子供たちがでるときに一緒にでることにして、
ついでに地域の防犯パトロールの役わり(←チャンスととらえて)
を兼ねて、通学路を途中までご一緒させてもらう。

さらについでに、下の子2年生の動きを全部まねてみたら、
すっごいおもしろかった。

無駄としかいいようのない、蛇行。
せっかく進んだのに、逆走する意味のなさ。
これが子供だという動きは
やってみると本当に楽しい。

歩道脇のブロックはもちろん平均台となり、
影ふみ、おしゃべり、ポケットに両手つっこんで
後ろ向きに歩く。

これ、大人で一人でやっていたら、超危ない人だが、
子供と一緒なので気楽にやらせてもらえる。

そして青空と、ハラハラと降り注ぐ銀杏の葉のシャワーをくぐりぬけて
大きく伸びをした。

なんて気持ちいいんだろう。

********

昼間のこたつも今のところ入らないですんでいる。
入らなければ入らないで、おひさまのあたる別の心地いい場所をみつけるんだから
やっぱ猫的なんだろうな。
これを書いている今は、さらに進化して、
湯たんぽを腰のところにあてている。すっごい温まるし、気持ちいいよ。

夜のビールも3日間ぬいたら、なんだか体調もいい。

夜ビールを飲まないでテレビもみないとなると、
さっさとお布団にはいるので、
睡眠時間もばっちり。

なんだ、いいことばかりじゃないか。

何日間だっけ?24日間だっけ?なんか成功法則みたいなのにあるよね
何日間か続けると、それが習慣化するってやつ。

とりあえず、3日目だ。
あ〜〜〜〜!お正月を挟むじゃないか〜〜!

飲めや歌えや夜更かし遅起きのオンパレードがまっている!

まあ、いいか。人生そんなもんだ。
今日は今日の心地よさを楽しもう。

前回の記事で宣言したことで、いくつか変更しました。

まず、よく考えたら、平日にビールをのまない。休日はいい。というのは
自分にそっていないことが判明。
そんな頭で考えたことを「ねばならぬ」でやることは意味がないと。

そして私がビールをのみながらほっとくつろぎたい時間をかきだしたところ
週に3回あることがわかった。
だからその日は飲みたくなったら飲むし、
そのほかの日で別に飲みたいわけじゃないけど習慣でのんでいるところは
体の声を聴く。ということにしました。

うん。
すごく自然でいいな。

それから、「昼間のこたつ禁止」はというと。

こたつにはいるとついゴロンとしてしまい、
ダラダラとなり、昼寝となるという
どうしようもないこの至福のパターンを
「夜だけ」にするというもので、
これは昼間の時間を有効利用しようというためだ。

そうか。ゴロゴロねるからだめなんだ。
寝られなければ、こたつに入ってもいいかな???

なんてささやく声につい耳を貸してしまい、
土曜日にでっかいホームセンターまで遠出して
こたつテーブル化作戦を慣行!

付け替えられそうな足となる角材を購入し、
電動ドライバーを使って、
こたつの大手術を行いました。

1日がかりでやっとできた〜〜〜〜!
となったのが、夜の8時。
そこからなんとかふとんを組み合わせてこたつにして、
椅子もありものをかき集めてすわれるようにしてみたんだけど。。。。

・・・・・・

なんか、おちつかない・・・。

あんなにがんばったのに。

もしかして、これ、好きじゃない???

認めたくない事実の前に1晩は耐えるも、
翌日、やっぱり低いこたつに戻す!と宣言。

昨日一日&買ってきた角材はすべて無駄と化したが、
この無駄のおかげでずっと思いつかなかったいいアイディアを思いつき、
最終的には、使わずじまいの天然木の机を分解して天板にし、
足が壊れかけていたこたつの台の足を交換し、
二つをドッキングさせつつも天板を変えることで用途にあわせて
ベストな大きさに変えられるという
なんかすごく理想のこたつが完成した!!

うわ〜〜。
どうしてこれを今まで思いつかなかったんだろう。

そんな家族サイズにぴったりのこたつが誕生するまでの
2日間。

無駄だったのか、無駄あってこそなのかわからないが、
そんな経緯で出来上がったこたつを

昨日やってきた平野先生がすごくうれしそうに見てくれて
ほめてくれて、
さらに、だからすごく進化しているんだね〜と
体の状態と合わせて話してくれたから、

うん。上機嫌。

私が自分らしく一番自然でここちよくいることが
家の中にも生活の中にも
広がっていけば、それが何よりだもん。

それで。

結局ですが。
昼間のこたつ禁止は、続行で決定。

働いている人には「当たり前だろ、何言ってるんだ〜〜」と言われそうですが、
家にいていつでも入っていい。しかも誰も見ていないとなると
ものすごい誘惑なわけで。とほほ。

さて、昼間こたつにはいらないで何をするのか。

そこが面白いところで
やりたいことを全部リストアップして、
時間割にして表をつくってみました。

その表を眺めていたら、なんだかすごくしあわせ。
まだやっていないのに、もうやった気分になるから不思議だ。

でも、今日からやるのです〜。

自分で自分を選ばれし者とする。
それは、担う役割を任されるものとして自分を自分で選んであげるということ
だとしたら。

逃げていたり、ごまかしていたり、
なんとなく時間をやりすごしている「楽」なことを
「好き」と呼んでいいのだろうか。

特に見たいわけじゃないのにだらだら見ているテレビ。
習慣でついつい飲み続けてしまうビール。
なんとなくダラダラと過ごす午後。

頑張っている時間があってのそれは
息抜きとしてとっても魅力的なんだけど
そればっかりになると、ありがたさは皆無だ。

というわけで、
ここんところのバランスをかえてみることにした。

まず、規則正しい生活。
夜更かしはしない。
平日のビールはやめる。
昼間のこたつ禁止。

「やることがないなら掃除しな」という言葉を
かつてどこで読んだのか忘れたが、今思い出した。

そうだよね。散歩もいいね。
それに私にはやりたいことがある。
それをしよう。
だから、本当にやりたいと思っていない

なんとなくのぐうたらな時間を大幅にやめる!

(息抜きにちょっとはあってもいいよね)
これって、わざわざ宣言するほどのものでもなさそうだけれど

でも実はなんでもない時間が大きく生活の中に占めている私としては
デカい変化につながる可能性大だ。

よし。
考えただけでイメージが広がるな〜。

と空想だけで終わらないようにしよっと!

ハリーポッターの原作を読んでいるときに起こった現象として。

魔法学校のダンブルドア校長先生が何か大切なことを言うセリフなど
叡智の扉が開かれる言葉に触れたとき

私の中にドンと違うセリフ(メッセージ)がやってくる。

それは、ダンブルドア先生が呼び水となって、
一緒に同じステージにスコンと運んでくれるからなのか、
どうしてなのかは、わからないんだけどね。

そして出てきた言葉をあわてて走り書きして

ハリーポッターの紙面にもどって、続きのセリフをみて
「そうきたか〜」とほくそえむ。

こうして書き留めたセリフの一つ。

********

他人の期待に応えるのではない。
それは運命と呼ばれるものや、守護霊の期待も同じだ。

自分で選び決意しなければならない。

本当の自らの道は、
そこからはじまり、
君は自分の運命を自らの手中におさめる。
そうしてはじめて、世界が君にほほえむのをみるだろう。

選ばれし者よ。

君は他の誰かによって選ばれたのではない。

君は、君自身によって選ばれし者となる。
それこそが、生を我がものとすることであり、
よって、
死をこえて存在することになる。

君にそのよろこばしき時が訪れることを
今回こそは願っておるぞ。

もう一度チャンスが与えられることはない。
最後のチャンスをものにするのだ。
我が愛しき命よ。

*************

40歳という区切りを
区切りとして成立させるために、私は何をしようかな。

と考えていたら、

まだどこかで
運命が私を選んでくれることを待っている部分があると思った。

自分が自分を「選ばれし者」とすることに躊躇する理由が
まだあるのだろうか。

なんて真面目に書いているけど

何か昨日までの自分と違う自分でいたい!
なにか新しいことをしたい!

昨日と同じ、半年前と同じ、去年と同じ、20代と同じ、子供時代と同じ
連続した自分を続けたがる自我の「安心・安全」の営みに

さよなら〜って軽々と手を振りたいんだよ〜〜。

**************

先日ラジオから流れてきた言葉が耳に残っている。

「何かをやめると、何かが変わって、何かがはじまる。
でもそれにはまずやめることが大事や。」

というあるお医者さんの言葉を聞いて、
旅人という役割を担える人に「自分を自分で選び」、

「会社やめたし、たばこやめたし、会社やめるために男もたった」

そういうプロセスで「旅人」になった
たかのてるこさん。
超パワフルで、すごく面白かった。

ポッドキャストでアップされてたからリンクはっておきますね。
おもろいトーク炸裂だよ。(20分)



**************

30代とは違う、40歳の新しい私になる!!

とモリモリ思いが湧き上がる・・・ということは

大事なのは、何かやめること!!


そうなんだね。そうなんだね。

うわっ、何やめよう。
って考えるとワクワクするね〜。

って実は昨晩からもう浮かんでいることがあって、
それ以外には考え付かないから、もうそれなんだと思うんだけど。

あ〜、未練たらしいけど、でもそれっきゃない!

続きは明日。

自我を確立し、
社会の中で生き抜いていくことを学ぶ道が
産まれてから始まったとするならば、

それを一通りやり終えたとき、
次なるステージの出発点がやってくる。

スピリットとしての成長は
40歳がゼロ歳と言われているのですよと

教えてもらったことを思い出す。


やっと再び生まれたのかな。
新しい成長の日々が始まるのかな。

今日は40歳の誕生日。

マイウェイ(日本語版)をなぜかずっと口ずさむ。
泣けた〜〜。

日常の中で起こったエピソードで
キーワードは「役割り」だなって思うことが起こった。

「役わりだからやる。役わりじゃなかったら、やらないよ。」

そういうセリフが聞こえてきて、
この言葉が私の世界にあることにきっとなにかのサインがあるんだろうと
思いを巡らす。

昨日出席した「やすらぎの部屋」のクラスでこのことを話しながら
徐々に紐解いて。

私の中に「役わりをこなす」ことに関しての相反する信念と
それにまつわる悲しみがあるんだということに気づく。

「役わりなんだからしっかりやるべき」

「私は役わりをこなすために生きているんじゃない。
 本当に好きなことをしたいんだ」

******

さらにクラスでその話をすすめていくうちに、
「役割」という言葉がさす意味がひとつではないんだと、気が付いた。

普通に日常での「役割」って、割り振られたらやらなきゃいけないことだし、
やらされることだし、ちゃんとやるのがいい子だし、
したいとかしたくないとかそんな感情を持ち出せる隙はない。
と捉えていた。

そして私は中学生のころから反抗期の最中に
よく母に言っていたなあと、思い出す。

「主婦なんだから、ちゃんと役わりこなしてから好きな事すれば」

それを裏返せば、ちゃんと役わりをこなせないなら、好きなことする権利はない。
ということでもある。

なんて残酷な言葉なんだろうと、今更ながら気が付いて、
そういえば、それを今の家族や自分自身にも言っているのだろうかと
見つめてみた。

「・・・・・言ってるわ」

そしてまたもう一方では、大声でそれに対して主張する声があるのも事実。

「役割なんて、なんなんだ〜。そんな枠に私をはめて自由を奪わないで。
 好きな事を好きなだけするんだ〜〜」

***********

「役割」という言葉がでてくる箇所がもう一つ。
奇跡のコースを呼んでいるとたびたび出会うフレーズだ。

「神の子としての役割り」

ここでも役割という言葉になって、なにかが示されている。

そして役わりという言葉から感じる、縛られる感じやちゃんとしなくちゃという感じが
じわっとにじり寄ってきて、無意識に避けようとする反応も起こってしまったり。


************

「役割」をこなすことで認めてもらいたくて自分を押し殺した怒り。

その奥にあるのは、

「役割」をこなせなかった悲しみ。

その根っこにあるのは、
神の子としての「役割」なんて嫌だよって、背を向けて
愛から離れていった自我だからこその葛藤。

人間という存在は、こんなものを持っているのですね。
そしてそれがあるから、また人間らしいともいえる、
不完全さゆえの人間さしさ。

************

瞑想しながら、聞いてみました。

「役割」ってことについて、どんな風にとらえたらいいのかな?

「何もないとろこには、何も生まれない。
 役割とは世界に触れる経路、叡智に触れる窓口となる あなたへの贈り物。
 あなたにいろんな経験やチャンスが届けられる窓口が、役割というもの」

こんなメッセージが伝わってきた。


そうだな。

母になったから経験したいろんなことがあるよな。
仕事してたから、味わった様々があるよな。

そう思って、今浮上している「役割」にまつわる出来事を見直してみれば
なんだかそういえば、嫌なことだらけにみえていたものが
違った風にとらえられて、軽くなっているのだから、不思議。

これを、しなやかさと呼ぶのだろうか。

***********

最近耳にしたフレーズで印象に残っている言葉。

「このことに誇りを持ってやっているんです。
 誇りを持って、努力しているんですよ」

役割に誇りが加わったら。。。

神の叡智に触れる経験がどんどんと流れ込んでくる窓口、
そこをまかされていることの誇らしさ。

それこそが「天職」なんだろうな。


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